明日も優しい陽が昇るように
全てを受け入れて新しい先を見ていると思っていた。
新しいKAT-TUNの、充電完了した姿を見て、楽しい!嬉しい!!ってはしゃぐつもりで、今の三人なら間違いなく亀ちゃんのうちわを持ちたい!と意気揚々、胸に抱えながら開演を待った。
三人の登場を期待に満ちながらステージを見詰めて。
東京ドームを煽る三人は間違いなくKAT-TUNで、過不足なんかひとつもなかった。
ただ、わたしは途中から亀ちゃんのうちわを持てない、と思った。
二年前、10ks!を三日間観終えたわたしのなかで、ひとつの結論が出たと思った。
「わたしの見てきたKAT-TUNは、田口がいたところまで。それ以降は、わたしの知らない、また新しいKAT-TUNなんだ」と。
吹っ切れたつもりだった。
結論づけて、納得したつもりだった。
でも、UNIONのキスキスを観て、わたしは突然わかってしまった。
田口があそこにいないということ。
田口はもうKAT-TUNではないということ。
もう二度、田口を観ることはないんだということ。
あの脱退宣言から、ずっと、ずっと、自分を納得させようとして、納得したふりをして、納得したんだと思い込んでいたんだということを。
びっくりした。だって、それを思うなら10ks!の時じゃないの?なんで充電完了した今なの?って。
それで、ライブ中にもかかわらず脳の一部がすっごく冷静に色々考えていた。
上田がラップを新しい歌詞で歌っていたこと。
とてもびっくりして、でも嬉しくて。
その曲が流れるたび、もう聴くことができないラップをどうしても思い出してしまうから。そんな切なさを新しい風で吹き飛ばしてくれたような思いだった。
キスキスで、本当に突然「この振りを踊る田口が好きだったな」と思った。
きっとそこから、まだ亀ちゃんのうちわを持てない、と無意識にうちわを下げた。
ステージで踊る三人にはやっぱり過不足なんか感じない。もうKAT-TUNは三人で、それ以上でも以下でもない。
わたしもそれはわかっていて、ただ、田口が好きだったなと、そう思ったんだ。
そしてその時、あの脱退宣言からずっとわたしは「田口が好きだった」と考えないようにしていたんだと気付いた。
田口が好きだ、好きだった、そう考えると次の瞬間「もう観られない」と続いてしまうから、それが嫌で嫌で、考えないようにした。
目の前の三人を見るんだと、今から、この先にはKAT-TUNは三人なんだからと、そう思わないと、きっとあの時の自分は耐えられなかった。
キスキスから、暫くそんなことを感覚で思い知ってしまって目の前の三人を見ることが苦しくなった。亀ちゃんのうちわを持つことが出来なくなった。今更のように、わたしは田口がいないということに直面してしまった。
涙さえ出なかった。
気付いたらDON'T U EVER STOPの冒頭で、今まで普通に聴いていた歌詞がいきなり耳に飛び込んできたように感じた。
「うまく言えないけど一人じゃない」
「忘れられない想い その迷い 俺が全部抱いて出かけよう」
すごく自然にすとんとその言葉が胸に落ち着いて、ざわざわし始めていた心が凪いだ。
そうか、三人はそんな気持ちを持っていても受け入れてくれるのか、と。
今までこの曲を聴いてこんなふうに思ったことは無かったのに、このセットリストの流れが凄く嵌って、そこからまたペンライトを振ることが出来た。
そこから、あえて我慢するのをやめてみた。
六人の時の曲では思いっきり六人のKAT-TUNを思い出したし、五人の曲ではあの時はこうだったなあとか、考えた。
四人の曲、4Uは勝詣の時を思い出した。
一番涙が出そうになったのはインファクトだった。
わたしはこの曲のダンスが、田口が踊るダンスが大好きで、コンサートでも歌番組でも、何回も何回も観た。今目の前で観ることができなくても、田口を思い出せるくらい、本当に大好きだった。
レーザーを浴びて踊るKAT-TUNがいて、当たり前にそこに田口はいなくて、わたしはとても苦しくて、
でも、苦しくていいんだって思った。
コンサートの最中にずっと感じていたのは、どんなファンも平等に三人は受け入れてくれているということ。
わたしは自分に「三人のKAT-TUNなんだから、三人のKAT-TUNのこと以外を考えてはいけない」という制約を、かけてしまっていたみたいで。
田口を観ることがもう出来ない、KAT-TUNの田口が好きだった自分をもう出してはいけない、そんなふうに縛っていたみたいで。
でも、他ならぬ三人が、そんなことを思わなくていいんだって言ってくれているみたいな。
UNIONは、わたしにとってそういうコンサートだった。
思えば六人が五人になった時も、五人が四人になった時も、わたしは同じことをしていたんだな、と同時に思い知った。
六人が五人になったときは、五人のことだけを考えようとした。
五人が四人になったときも、四人のことだけを考えた。
四人が三人になるとき、田口がいなくなるとき、今でで一番、考えないようにしよう、三人だけを見ようと思った。
苦しいと思うことを禁じた。
六人のKAT-TUNが大好きだった。
五人のKAT-TUNが大好きだった。
四人のKAT-TUNが、大好きだったんだ。
それを全て、三人のKAT-TUNが肯定してくれた。
これはあくまでわたしが感じたこと、思ったことで、今現在KAT-TUN担ではないからこそ感じた、思ったことなんだろうと思う。
だから、久々に東京ドームで会ったKAT-TUN担の友達が「KAT-TUNのコンサート、とにかくずっと楽しい!」って笑っていたのが、本当に嬉しかった。
きっと今KAT-TUNの船に乗っている人達が心底楽しい!と感じられるコンサートだから、わたしもこんな自分を肯定出来たんだと思う。
じわじわと「田口が好きだった」と思い出してぐるぐるし始めているタイミングで流れてくるのが、
「君が嫌いな君が好き」
なんだよ。すっごいな、KAT-TUNって。
わたしのこと知ってんの?(笑)
自己嫌悪に陥りそうな瞬間に
「もう無理しないで 心のまま 君のまま」
と歌っているKAT-TUNは、なんて懐が深いんだろうと思った。
今でも六人を、五人を、六人を、田口を引きずって、自分が嫌になりそうだって思っても、KAT-TUNは「君が嫌いな君が好き」って言ってくれるんだもんなぁ。
勝てないよなあ!!!!!!
すごく解放された気分だった。
どんな時もKAT-TUNだよって笑って認めてくれた気がした。
わたしが好きだったKAT-TUNも捨てなくていいんだ、忘れなくていいんだって。
そして、確信を持って示してくれた。
三人はもう揺るぎなくて、KAT-TUNでいたいから、KAT-TUNが大好きだから、これからもKAT-TUNでいるよって。
すごく安心した。ずっと好きでいていいんだって。
わたしは船を降りて、新しい道を歩き出していて。
KAT-TUNは実家のような存在だと思っている。
個人的にはKAT-TUNを好きになって今年で十年、人生の三分の一はKAT-TUNを好きでいるんだなぁ。
後悔しそうになったこともある、観ているのが苦しかったときもある、でもこうしてUNIONにまで辿り着いて、こんなふうに三人は受け止めてくれるんだなって感じたら、今までを引っくるめて、わたしはKAT-TUNを好きになって良かったなと思う。
苦しいのが当たり前なんだよって肯定してもらえて初めて自分がこんなに苦しかったんだと知った。
それでもいいんだと思えることで、先に進めるんだってことも。
田口担の自分を引きずったままで新しい道を歩いていた二年間、どこかで「なんでこんなに苦しいんだろう」と思っていた。
引きずっていることにすら気付かなかったから、新しい道を歩きながら何度も何度も振り返って、振り返ってしまう自分を否定して、押し込めていた。
それを、他ならぬKAT-TUNが解放してくれた。
コンサートが終わった今、物凄く晴れ晴れとした気持ちになっている。
わたしはKAT-TUNが、これからもずっと、大好きだ。
それだけが全て、それだけを望もう!
それがわたしの答えだ。